
スナックその
- Hurry go round
- 大須賀 馨(Kaoru ohsuga)
- 2020 年8 月15 日(土)~2020 年8 月30 日(日)平日休廊(アポイント制で平日開廊可)
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2020 年8 月15 日より東京都墨田区のspace – Snack SONO にて写真家として活動する 大須賀 馨 の個展 「Hurry go round」を開催いたします。
秒毎に世界中からアップロードされソーシャルメディアの生態系へと放たれていく大量の写真と、他者と深く繋がるための1枚の写真を例に「写真によるコミュニケーション」についてを軸とし、人間が自らの意思で写真を撮っているのか、写真自体が人間の思考に指示を与えミームとしての写真は利己的に自己増殖をしているのか、について考えるための展示です。
この度space – Snack SONO としての初企画となります。作家にとっても初個展となりますのでぜひ皆様に会場にお越しいただきご意見、ご感想をいただけましたら幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
– 開催概要 –
作家: 大須賀 馨(Kaoru ohsuga)
タイトル:『 Hurry go round 』
会期: 2020 年8 月15 日(土)~2020 年8 月30 日(日)
平日休廊(アポイント制で平日開廊可)
時間: 15:00 – 20:00
会場: space – Snack SONO
企画: スナックその
入場料: 300 円
オープニングイベント: 2020 年8 月15 日(土)19:00 -20:00
※コロナ対策:来場者はマスク着用、アルコール消毒を実施。入場制限を設け、換気を徹底。
住所:東京都墨田区文花1丁目12-10 文華連邦
問い合わせ: 企画…snacksono.yu@gmail.com
作家…kaoruohsuga@gmail.com
– 作家ステートメント –
人間を強制的に支配している「時間」に干渉することに、僕はずっと憧れていました。
今回の展示では、自分のこれから先の「時間」に対しての関わり方を提示できればと思います。
– 作家紹介 –
大須賀 馨(Kaoru ohsuga)
1998 年生まれ
千葉県出身
現在、日本写真芸術専門学校在学中
展示:2016 年 日本写真芸術専門学校
フォトアートゼミ1 年「めぐる」展
2017 年 日本写真芸術専門学校
フォトアートゼミ2,3 年「未来回記」
– PRESS RELEASE –
– 展示について-
私たちは心労する傍ら、中毒のようにスクロールし続け、発信者の意図からも逃れて自由に浮遊する写真を日々大量に目にしている。
『ソーシャルメディアの生態系 』(オリバー・ラケット 、マイケル・ケーシー 著)を読みソーシャルメディア上のミームは宿主である有機体に生殖や生存に有利な特性を付与し自己増殖する遺伝子の本質と同様に、文化の進化という目的のために私たちの思考に指示を与え個々の人間が表現しているかのように見えて利己的にミームが自己増殖を繰り返しているのではないか、ということを考えていた。写真もその一つに関わり、歴史を辿ればマスメディアによって広告写真が拡散された時代よりもはるかに生命力を持って増殖し続けている。
メディアが更新されていくにつれ、写真遺伝子の優位性が増すのなら人間が主体となって行う「写真によるコミュニケーション」はより困難になっていくはずであり、数とは反比例して機能は低下しているのではないかと思う。
AI による加工アプリも抗菌のフィルム越しに倫理と好奇心を融合させるかのように、セルフィによるポートレートでありながら、実体を持たない空虚な人物像が日々生み出されている。意思だけでなく被写体としての身体もこの生態系へと容易に差し出され続けている。この現象に憂惧しつつも、平地に至った今こそ写真によるコミュニケーションについて考えるのには好機なのかもしれないと思った。
「in my head,in my world vol.2」/ 2020 年
私自身が個人的な写真をとることができるようになったのは、世代的に子どものころに手にした簡易的なフィルムカメラや、コンパクトデジカメがきっかけであるが、携帯電話を持つようになりメールで写真を送信できるようになったことは大きな変化であった。個人のブログやSNS にアップロードして未知の人へと写真を共有するようになったのはごく最近に感じている。そのため、現代の写真によるコミュニケーションについて考察するには、少し隔たりがある気がしていた。先ずはこの世界を無意識に泳ぐことができる潜水艇が必要だと思った。
その頃に一回り以上歳の離れた写真家を志す青年と出会う。「いまどきの青年」感が漂い、現代の著名な写真家や芸術家にもさほど興味を持たず「写真やっていきたいっす」と頼りなく話す姿からはいわゆる写真信奉者のような上気も感じなかった。彼の言う写真は別のものなのかもしれない、と不意をつかれたような気持ちになり興味を持った。
ネイティブに個人の携帯電話やSNS を扱ってきた世代であり、同時に作品としての写真を撮り続けている彼の目を通してならこの世界が少し見えるかもしれないと期待した。そんな世界でなぜ写真を撮り「写真家」を目指しているのか聞いてみた。
「no title」 / 2020 年
彼は幼い頃から母子家庭で育った。多忙な母とのコミュニケーションは希薄であった。中学で初めて自分の携帯電話を持つ。ある時携帯で撮った夕陽の写真をなんとなく母に送った。文面を送ることなどなく反応もない人であったけど、素っ気ないながらにそこから母とのコミュニケーションが始まる。送るのはいつも夕陽の写真だけ、ある時から母からも夕陽の写真が届いたり、2 人で同じ夕陽を別の場所から撮って送り合ったりと言葉は少なくとも彼は忘れかけていた母親らしさを思い出したそうだ。彼が自立するようになって束縛からの解放のため夕陽のコミュニケーションは途絶えるが、進路を考える頃に再び、この母と積み上げた時間と経験が自信となって写真へと心を向かわせた。
母子家庭になった頃から母親は料理を作らなくなり、コンビニ弁当を食べてきたそうだ。母の手料理を食べることは子どもにとってシンプルに愛情を吸収する機会の一つだが、彼にとっては日常ではなかった。作品の話の端々に「消化」や「糧」という言葉を使う。実験を繰り返す過程でその言葉通りに写真自体を塩酸で溶かしてみたそうだ。食べ物が胃の中で溶けて消化されていくイメージで作業をしていると、出来上がった写真は求めていた形に近づいていった。最終的に仕上がった写真は単に日常を記録するだけでなく、生きている時間を撮って消化し、自分の経験に落とし込みたいと話していた気持ちが現れていた。母との関係性が望む形でなかった時期は「何故生きてるんだろう」と悲観的だったが、写真に向き合うようになってから「生きてるのなら存在証明をしたい」という強い意志に変化していったそうだ。
自分がみてるこの四角(写真の枠)に責任を持ちたい。単に思い出のような記録写真にLike が付くのでは物足りない。自分の周りの時間を丸ごと、より深く他者と共有したいと欲するようになってから作品をさらに良いものにしようという意思は強まり進行形で真摯に写真と向き合っている。
「in my head,in my world vol.2」 / 2020 年
深く繋がりたいという素直な欲求、それは誰しも持っていることだか、当時の彼にとってはより強くあったのではないかと思う。「夕陽」という凡庸なモチーフであったとしても自分に取って重要な人との写真によるコミュニケーションは成立し、その手応えを元に写真を通じて他者とのコミュニケーションを試みる彼の制作の姿勢から、貴重なヒントを得ることができた。
日々世界中からアップロードされクラウド上に蓄積されていく写真の数々。ミームとして生態系に定着すれば拡散されイメージはコピーを繰り返し霧のように飛び立ち、人の意思からは遠く離れていく。
メディアの進化によって多くの人とコミュニケーションが図れるようになったのだと信じていたが、彼の作品と出会い、伝えたい相手を思い浮かべて、心に届く写真を生み出すことを手がかりとし、試行錯誤を繰り返していくことが写真によるコミュニケーションの強度を増すための単純かつ1 番の近道なのかもしれないと思った。
彼の目を借りて気が付けたこと、そして彼自身が一旦客観的に作品を見る機会を設けたいと思い展覧会を企画した。ご覧いただいた皆さまにご意見・ご感想をいただけたら嬉しいです。
「in my head,in my world」/ 2019 年
文:スナックその 優
(スナックその:
2010 年より活動のアートユニット。近年は「現実性」に一貫して制作。主な展示に『写真新世紀』(2016)、Tokyo Midtown Award( 2013)など。)
展示風景 展示風景