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Marginal Studio

  • 三谷蒔個展「ありのままの事実に対する抵抗」
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     ありのままの事実とは何でしょうか。それはどこにあるどのようなものであり、どの程度事実としての説得力を持っているのでしょうか。例えばある人が女性的な見た目で、日本語 が流暢なアジア人風の顔立ちだったとします。そこにおいて、その人は日本人女性であるという属性、あるいはラベリングはありのままの事実として実在するのでしょうか。決してそ うとは言えないでしょう。例えばロジャース・ブルーベイカーは、人種、エスニシティ、ネ ーションはあくまでカテゴリーであり、それらのカテゴリーを人々が認知し、その上で人々が実践や相互行為を行っているのであるとしました(ブルーベイカー、2017、第 6 章)。実 際、人種やエスニシティ、ネーションとは曖昧なカテゴリーです。例えば、日本では旧植民 地の朝鮮からの移民やその子孫を在日コリアンと呼びます。在日コリアンの中には朝鮮出身者の第一世や、日本出身で日本語が母国語の第二世以降の世代がいます。中には朝鮮籍と いう国籍ではない籍を持つ、事実上の無国籍者であり、国籍制度、国民国家制度の穴を示す 立場の人もいます(鄭、2017)。さらにジェンダーやセックスに関していうと、バトラーは 『ジェンダー・トラブル』の中でジェンダーやセックス、欲望というものは法によって構築、要求されるものであり、人々はジェンダーなどを示すような行為のパフォーマンスを繰り 返すことによって性的アイデンティティを形作っているとしました(2021)。研究の世界に おいては、あらゆるカテゴリーは社会的に構築されたものであり、可変的で多義的なもので あるという構築主義的な考え方がすでに 80 年代には主流になっていました(佐藤、2017)。そしてその後に問われたことは、人種や国家などといったテーマにおいても、ジェンダーな どのテーマにおいても、カテゴリーはどのようにして構築されたものかということでした。 そのような問いに対してブルーベイカーやバトラーは取り組んだのです。以上のように、一 見揺るぎない既成の事実かのように見えるある人の属性は、実は構築された揺らぎのある ものなのです。

     つまり、表面だけを見るだけでは全てを把握することはできないのです。もちろん物事をカテゴリー化して捉えることは、曖昧で複雑な現実をわかりやすく捉えるために必要なこ とです。しかし、同時にカテゴリー自体も常に問い直す必要がありますし、同時に表面の裏 側にあるものに対しても目を凝らし、耳をそばだてなくてはならないのです。それは歴史に 関しても言えることです。歴史に記述された事実はほんの一部でしかなく、書き残されなか った出来事が無数にあるのです。まるで、太陽系の外には太陽系と同じような星の集団が無 数にあり、しかもそれらは銀河系という莫大な星の集まりの一部であり、さらに複数の銀河 系が集まって銀河団を作っており…という、宇宙の壮大さのようです。想像するとあまりの 壮大さに気絶してしまいそうです。しかし、宇宙と違って歴史は誰かによって何を記述する か選ばれ、描かれるものなのです。つまり、その選択が行われるときに選ばれない誰かは黙 らされてしまうとも言えます。歴史に限らず、現在さえもありのままの表面だけが全てでは ないのです。そこに、それぞれの人の過去、土地の歴史など、想像の余地はいくらでもあり ます。

     ヴェールの向こう側には、黙らされた無数の存在がいます。例えば在日朝鮮人の第一世の中には、元々の朝鮮名をひた隠して日本名を名乗り、日本人のふりをしていきた人もいまし た。表面には日本名と日本人としての彼しか見えないのですが、彼の朝鮮名や母国語である 朝鮮語などがヴェールによって隠されているのです。そのことを知った時、どうすれば良い のでしょうか?おそらく無視することはできないでしょうが、同時に容易に触れることも できません。なぜなら、隠された存在は銀河団のように無数の歴史を展開しているからです!ですから、私にできることは、終わりが見えなくても過去について知る努力を続けるこ とと、現在のありのままはどのようなものか見抜くこと、そして現在のありのままを構成す るコードに穴を開けることです。まるで、パスポートに穴を開けて使えなくしてしまうかのように。これらの行動は二つに分けられるでしょう。一つは、ひっそりと一人で地道に考え る作業。もう一つは、ありのままの表面に穴を開ける作業。

     私はこの展示において、ありのままの事実、としてみなされるものに対して穴を開けてみ たいと思います。それは歪さによってでもあり得ますし、笑いによってでもあり得ます。そ もそも歪さと笑いはよく似ていると思います。なぜなら、いずれもありのままに浸っていたら予期しない意外性を伴って現れるものだからです。

    参考文献

    佐藤成基. (2017). カテゴリーとしての人種,エスニシティ,ネーション : ロジャース・ブル ーべイカーの認知的アプローチ について. 『社会志林』, 64(1). 21-48.

    ジュディス・バトラー. (2021). ジェンダー・トラブル(竹村和子 訳). 東京: 青土社.

    鄭栄桓. (2017). 在日朝鮮人の「国籍」と朝鮮戦争(1947-1952 年)–「朝鮮籍」はいかにし て生まれたか. 『PRIME』, 40. 36-62.

    ロジャース・ブルーベイカー.(2017). グローバル化する世界と「帰属の政治」:移民・シティズンシップ・国民国家(佐藤成基, 高橋誠一, 岩城邦義, 吉田公記 編訳). 東京: 明石書 店.

    [Information]

    ありのままの事実に対する抵抗

    会期 2022年2月23日~27日

    会場 Marginal Studio

    住所 東京都墨田区文花1-12-10 文華連邦

    開館時間 14:00-20:00

    観覧料 300円

    アクセス 押上駅から徒歩15分

    [Artist]

    三谷蒔(みたに・まき)

    1999年兵庫県生まれ。

    大学で人種やジェンダーについて学ぶ。制度や歴史と個人の関係や、制度が持つ欠損、言葉と表現の関係に関心を持ってパフォーマンス作品やコラージュ作品などを制作する。2018年12月、2019年1月に美学校において開催されたグループ展『beta展』に参加。そこでパフォーマンス作品《それでも、言葉を使って》を上演した。それが作品を公開する初の機会となった。

    パフォーマンス作品《それでも、言葉を使って》2018-19  撮影:木村奈緒